文房具

文房具が好きである。

「ぞうさん」の作曲などでおなじみの、作曲家・團伊玖磨氏が、エッセイ集「又々パイプのけむり 」の中でこう書き残しておられる。

実際、何うして、文房具屋の中では、こうも何から何迄が欲しくて欲しくて堪らなくなるのだろう。ノート・ブックも、それも、小型の黒革手帳から始まって、各種の大学ノート、”おもいで”などと書いてあったり、少女や菫の絵が表紙に刷ってある、観念的には常々軽蔑している日記帳、[…略…]インクの類、墨汁の類、決して使う気遣いのない烏口や雲形定規、[…略…]そして、僕が大嫌いなボール・ペンやマジック・ペンシル、シャープ・ペンシル、二つも持っているのでこれ以上は不必要な硯、これも二本持っているので要らぬ筈の万年筆。然し、嫌いであろうが、必要なかろうが、そんな事には関係無く、もう、何から何迄が欲しくて欲しくて、頭の中が痒くて、痒くて、簡単に言えば、一店皆欲しくなり、文房具屋が使っている算盤や、半分減ったスコッチ・テープ迄が欲しくなり、何うして良いのか判らなくなり、目も霞み、口中も渇き、店内をうろついた揚げ句、物慾との戦いに疲れ果てて、へたへたとその場に坐り込みたいのを怺えるのがやっとである。

私もここまでの執心ではないが、よく似た状態になるのである。この状態を伊玖磨氏は「発狂状態」と名付けておられるが、なぜそのような精神状態に陥るか、周囲の意見を求めたところ、一つの意見としてこのようなことを言われ、当たっていそうだと感じたという。

「お前はなあ、大学も出とらんし、旧制高校すら出ていない。中学から音楽学校に進んだだけで、学問がない。音楽学校や美術学校というのは、当時は乙種専門学校と言って、盲学校や聾唖学校の仲間だぞ。だから、お前には学問に対するコンプレックスがあって、絶えず、学問がしたい、学問がしたかったと心の中で思っていて、その思いが、幼稚にも文房具と結びついて、矢鱈に文房具を欲しがるのさ。幼稚なもんだ」

なるほど、説得力がある。私自身も学問のない身であるからして、なんだか自分の心を見透かされたようでもある。しかし、日本を代表する作曲家である氏と同じ精神的傾向を持つということは、うれしいことではないか。

そういうわけで、私も、文房具店に入るとあれこれ物欲に任せて店中をうろつきまわるのを常としている。

ここのところはボールペンがマイブームである。 低粘度油性インクのボールペンをいろいろ試している。「今更」と言われそうなものだが、長年ゲルインクが好きで、それ以外使ったことがなかったのだ。ペンを日常的に使う仕事を離れたことも要因の一つだった。

本を読むとき、直接書き込みをするのが嫌いで半透明のフィルム付箋を使っていたが、これには鉛筆か油性ボールペンでなければ書けなかった。そこで適当な油性ボールペンを買ってきて使っていたが、どうも使いにくくて困っていた。去年、ふとしたことから低粘度油性インクのペンに出会い、それから各社の出している低粘度インクにドはまりして現在に至る。